2010年9月6日

地震

monチャンと、kaiチャンと共に、lupoの用事が終わるのを車内で待っていた。monチャンは、「おとうさん、どこいったぁ?」と、繰り返し聞いてくる。「あっちにいったよ。ちょっと、用事だって。すぐに帰ってくるよ。」と、答えながらも、「昨日の晩の煮付けたイワシは、子持ちでおいしかったなぁ、、。」などと、考えながらぼんやりとしていた。土曜日のお昼前のことだった。

ラジオから流れていた音楽が終わって、ニュースが始まった。最近は、ちょこちょこと英語が耳に入ってくる。自分でも驚くほど、かなりの進歩だ。
「今朝、4時半、クライストチャーチで地震。マグニチュード7.1。けがを負った人が2名。一日が始まる前に起こった地震で、ほとんどの人がまだベッドで休んでいる時間だったため、がけが人が少なくてよかった、、、。」、、といったようなことを知らせるニュースだった。
我が家には、テレビがリビングにないので、朝起きてすぐにテレビをつける習慣がなく、このときまで今朝早くに起こった惨事を知らずにいた、、、。
車に戻ってきたlupoに、「昨日地震があったらしいよ。」、、と、伝えたら、「4時半くらいでしょ?感じたよ。」、、と、返ってきた。だけど、内容を伝えると、さすがに驚いていた。
lupoは地震があったとき、monチャンに起こされ、眠れずに、本を読んでいたらしい。私は別の部屋で、kaiチャンとぐっすりだった。
ウェリントンでも揺れを感じるくらいだから、かなり広範囲に渡って大きく揺れたに違いない。

私は兵庫県南部地震があったとき、ちょうど大阪の豊中市にいた。大阪は震度3と発表されたけど、そんなものではなかったように思う。私が住んでいたところは鉄筋コンクリートのしっかりとした建物の1階だったのに、ぐわんぐわんと円を描くように、回るような感じで揺れ、おさまった後は、食器が落ちて割れており、ブラウン管の重たいテレビでさえも元あった場所から大きくずれていた。その衝撃はとても大きくて、余震が起こる度にビクビクした。しばらくの間は震度1程度の揺れも感じるくらい、体は敏感になっていた。1月のまだまだこれから寒くなる時期だった。
震源地に近い人たちはどれだけ大変だったことだろうか、、、。地震当時も、その後も。
あんな恐ろしい思いはもうしたくないというのが本音だけど、自然災害はいつなんどきに起こるかわからないのが本当のところだ。

lupoの勤める会社は相当な額をクライストチャーチに寄付したらしい。
「、、、今年はボーナスないな、、、。」と、本人はつぶやいていたけど、しかたない、困ったときには助け合うものだから。

2 件のコメント:

  1. 私もベットですやすや。
    ホントうちらもラジオ聞いて知ったんだけど、ビックリだよね。写真とか見ると、驚くよ。
    フィールディングとかでは洪水、異常気象なのかね。

    私も仙台にいた頃震度5強の地震を経験したよ。
    余震を以上に感じる気持ち分かる。

    Meeshには「ソーセージ何千本か寄付すればいいのに」って言ってみた。

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  2. Rieepチャンも、家族と離れているときに大きな地震を体験したんだね。
    ひとりだと、心細いよね。

    ソーセージの寄付、いい考えだよ。
    日曜日に、スーパーマーケットの入り口でやってるみたいに
    ソーセージ焼いて、サンドして配給したら、すごく喜ばれると思う。

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