2011年7月14日

おもちゃ


いつもこんな風に遊ぶ。
洗濯ばさみを出したり入れたり。
おもちゃ要らないみたい。

2011年7月8日

NZでの出産

もうすぐ、kaiチャンが生まれてから1年が経つ。
あまりにも早かった。
私が生きてきた今までで、
いちばん早く過ぎた1年間だったように思う。

ちょうど1年前といえば、新しい命の誕生を心待ちにしていたころ。
その小さな命が、もう自分で歩き出したとは、、、。
小さいわりにたくましい。


そういえば、、、kaiチャンは胎児時代からたくましかった。
胎動が始まったのも早かったし、その激しさは、
「本当は男の子だったりして、、、。」と、
超音波検査の結果を疑いたくなるほどに日々エスカレート。
毎晩のように大運動会が繰り広げられていた。

そんな毎晩の胎動のすごさと、重さ、大きさに耐えられなくなり、
37週の頃には、「もう出てきてもいいのに、、、。」と、思いながら、
よいしょ、こらしょ。どすこい、どすこい。、、と、いった感じだった。
「もう無理。限界。」と、毎日ギブアップ宣言していた。

monチャンは予定日の2週間前に生まれてきた(日本の病院で出産)ので、
kaiチャンもきっとその辺りの登場だろうか、、と、期待していたのだけれども、
その日を過ぎても出てこず、お腹はパンパン。
狸の親方状態だった。
あってはならない100センチ越え。、、、とても辛かった。
縦154センチ、周り100センチって、ちょっとすごかったと思う。
体重の増加も9キロ以内に抑えたにもかかわらずの結果がこれ。
妊娠前よりも顔周りはスッキリしていたから、
ぜーんぶkaiチャンに吸い取られたのだと思われる。

このまま、もし、予定日を迎えてしまったらいったいどうなるの私のお腹!
、、と、心配になってきたころ、無事に陣痛が来た。
予定日の10日前のことだった。

午前3時半、破水。
これって、陣痛よね~、、と、思いながらも、
できるところまで休息が必要と、思い、
横になって待っていたときに起こった。


、、、monチャンを出産するとき、
お腹の中で風船がバンッと、割れたような音がして破水。
、、という経験をしたので、
今回もまた同じことが起こるのかなぁ、、。と、恐怖心があった。
当時、既に陣痛の大きな波が来ており、
病院のベッドに横になっていた状態。
モニターをつけられており、
すぐに助産師さんが来て看てくださるのでなんにも心配することはない。
それでも、私のお腹破裂?みたいな感覚がとても怖かった。
そして、この破水が起こってから、初産であったのにもかかわらず、
助産師さんの最初の予想である「朝までには生まれますよ。」
という言葉も撤回され、分娩の準備に入った。。。

本題の今回、kaiチャンのときはというと、じんわりな破水。
「えっ。これって、、もしや?」みたいな感じ。
特に慌てることなく眠っている相方のlupoを起こし、
病院へ行く準備をし始めた。
lupoが、当然、助産師さんに連絡をとってくれるだろうと思いきや、、
「まだ早いのでは、、」と、思ったらしく、待機しているではないか。。。


ニュージーランドでは、なにかの理由があって、
自分で申し込まない限りは出産の際、
医師にかかるのではなく、
助産師さんに立ち会ってもらうのが普通。
妊娠がわかったら助産師さんのいるクリニックへ通い、
出産のときのみ病院へ向かう。
その際に助産師さんに連絡をとり、
そこで待ち合わせるかたちになる。
もしくは自宅で出産する人もいる。
そのときには2人の助産師さんが立ち会うらしい。
40週のあいだ、定期的に同じ助産師さんのところへ通い、
計画を立て、その日に挑むわけだけれども、
私の助産師さん、アンはちょうど予定日辺りに
休暇をとることがわかっていた。
だけど、私は絶対に予定日よりも早く出産するだろう、、
、、と思っていたので敢えて彼女にお願いしたのに、
結局休暇が前にズレ、別の助産師さん、
アントワネットにお願いすることになっていた。
そのアントワネットへ連絡する際の注意事項を
何度も聞かされていたので、
lupoは連絡するのを躊躇していたのだと思う。

「夜中にアントワネットへ電話をかけるときは注意すること。」

本格的に陣痛が始まってもいなのに、
電話をかけて起こしてはいけないということらしい。

恐らく、休暇をとっているアンが、
気を遣って、そう決めたのだろうけれども、
こっちとしては、そんなにのん気にしてもいられない。。。

monチャンのときは夜の11時頃にやんわりと、
でも定期的な陣痛がやってきたので、病院に連絡をし、
日付が変わる少し前に到着した。
そして、3時30分には出産した。結構早かったと思う。
そんな過去があるので、
のんびりしていて間に合わなかったらどうするのよ。。。
という思いがあり、とりあえず電話をしてもらった。
私は、病院へ持って行くものの最終確認をしつつ、
ラズベリーリーフティーを飲みながら、
気持ちをリラックスさせるように心がけた。
このお茶は、陣痛の痛みを和らげつつお産を助け、
出産後は母乳の出を良くすると知ったので、
友だちのRieepチャンに買ってきてもらったもの。

結局、5時半になったらそのときの状態を伝え、
病院へ行くかどうかを決めましょう。。。ということに決定。
なんとも不服な気持ちを抑えながら、
ただただ、痛みの波が来ては去っていくのを待った。
、、、この時間が長かった。

そして、いよいよ病院へ出発。
いつもにも増して荒い運転。
カーブはゆっくり進んでよー!と、言いたくても、
掴まって痛みをこらえるだけ。。。
だから、もっと早く出発したかった。。。
警察の車まで追い越して、、、よく捕まらなかったもんだ。

で、到着しても、まだ早朝。
助けてくれる人もすぐには捉まらず、
lupoが車椅子を持ってきてくれるまで、
寒い中、立っていることも、座ることもできず、
駐車場のチェーンを張ってあるポールをひとつひとつたどり、
寄りかかるように掴まりながら、
入り口に向かってちょこっとずつ進んだ。
やっと車椅子に乗ることができ、
部屋に案内されたのは6時過ぎ。
アントワネットの到着を待った。


待った。


結構待った。


多分20分以上。

やっと来てくれたアントワネットに指示を受け、
やっと横になれたかと思いきや、
「もう、準備できてる(子宮口十分開いている)みたいだから、
いきんでいいよ。」、、、とのこと。

「やっぱりだ。」と、私は思った。
もう、限界が来ていた。

で、とりあえずいきんではみたけど、
アントワネットに、
「おしっこが溜まってて、いきみ難いだろうから、行っておいで。」と、
サラッと言われた。

「えぇーっ?」

やたら高いベッドにやっとよじ登ったのに、
また降りておトイレへ行けと?
、、そして、降りると激痛。
これが重力の力なのだろう。

おトイレに座る。
「ここで生まれたらどうしよう。」と、一瞬、嫌な思いがよぎる。
ま、そんなにスルッと出てくるはずもないんだけど。
、、で、これがまた、出ない。
しばらくおトイレから出てこない私をおかしいと思ってか、
「水を流す音で出したくならない?」と、
水をジャージャー流しだした。
私は普段から水の音では反応しないタイプなので絶対それはない。
、、と、思ったけど反論もできず、されるがまま。
日本では管を通してくれて簡単にスッキリできたのに、、
、、と、煮え切らない気持ち。

、、結局、出すのは諦めてベッドへ。
そして、このベッドは日本の分娩台みたいのではなく、
リクライニングできるだけのベッドだったのねぇ、、と、
そのときになって気づいた。
踏ん張るために足を置く場所がない。。。
「これではいきめませんよ。どこに力をいれれば?」
、、などと考えていると不思議なことに陣痛が遠のいてしまった。
痛くないし、波も来てない感じ。
これが、ラズベリーリーフティーの力なのか、、、。
ただ、痛すぎて、自ら痛みを抑えるホルモンが出てきたのか、
その辺のところはわからないけど、
アントワネットが陣痛の波を導いてくれ始めたので、
意を決し、彼女のの指示に従って、
「今!」ってときにあわせていきみ始めた。
自分の両足の膝の裏を自分の両手で抱えた状態で。。。
、、、こんな出産ポーズありえない。
やっぱり陣痛の痛さはない。
だけど波の感覚は掴めた。
1回の波にできれば3回いきめ。とのこと。
3回目の波が過ぎる前に頭が出てきた。

7時3分。

病院について1時間足らずで、kaiチャン登場。

3640グラム。

達成感+解放感。


そして、しばらく休んで、お昼前には自宅へ帰った。
なんか、ドライブスルー的な気分だった。


行くときは2人。帰るときは3人。


誕生日が来るたびに思い出すんだろうなぁ。。。